1300年前、平城京は平城宮から南北軸の道を”坊”、東西軸の道を”条”とし碁盤目に都市計画されていた。今の奈良市の道を見ると、その面影をほとんど感じないと、前にも書いた。
このことが気になっていて、県立の図書館(情報館)へ調べに行った。現在の地図に平城京時代の道をトレースしたものを見つけた。
奈良文化財研究所刊・平城京条坊総合地図。
新創社刊・奈良時代マップ:平城京編9784838103805の2冊を借出すことができないので一部コピーさせてもらう。
何故こんなにも平城京の時の道と、現在の道が違ってしまったのかを考えると、平城京から平安京に都が移された後(平城遷都710年、平安京遷都794年)千年の間に平城京は農地となり、条も坊も無くなり荒廃したためだろうが、今の時代、これを都市計画し直すのは到底無理。京都は都であったまま明治になり荒廃する事なしに碁盤目の道幅は自動車時代を迎えて拡張されたがそのまま残された。大阪も南北を筋、東西を通りといいはっきりしていてわかり易い。
奈良三条通りは最近の道路拡張計画で、三条栄町で斜め45度に大きく曲がっている。この曲がっている道路を何通りというのだろうか?